成田一徹切り絵展

いよいよ今日から、久々の個展がはじまります。

先日発売した画文集「東京シルエット」の原画展です。

昨夜は10時までかかって116点の切り絵を並べました。

絵の7割は額装なし、生の切り絵を間近にご覧いただけます。

会場は東京日本橋『丸善、3Fギャラリー』  中央区日本橋2-3-10  

電話(03)6214-2001

会期は25日~31日(火)午前9時30分~午後8時30分

私は毎日会場にでますが、確実なのは午後遅くから7時くらいまで。今日と明日は午前からおります。

ぜひおはこびください。お待ちしております。

成田一徹

成田一徹・切り絵展

●2010年8月25日(水)〜8月31日(火)

ギャラリー開催時間:午前9時30分〜午後8時30分(最終日は午後5時閉場)

●丸善・日本橋 3F ギャラリー

〒103-8245 東京都中央区日本橋2-3-10 電話:09-6214-2001

朝日新聞都内版に2年9ヶ月にわたり連載した「東京シルエット」(創森社)が刊行されました。

出版を記念して原画100点を展観いたします。ご高覧くださいますようご案内申し上げます。

★作家は毎日在廊いたします。「東京シルエット」をお求めののお客様にサインをさせていただきます。

新・神戸の残り香「描き続ける街の風景」「おばちゃんの人情今も」

あの頃、あの人、あの笑顔…。

月に一度、神戸で旧友たちの集まりがある「グッドバー同好会」の月例だ。他人のことは言えないのだが、

みなさん良いお歳になられて和気藹々。中心は「バー・へヴェン」のマスターMT君だ。彼とは古い付き合いだ。

何しろ元同僚であり、初めて本を出版したのも彼がいたからだ。「酒場の絵本」、今からみれば線が甘いし技は稚拙だし

照れくさくなるのだが、ぼくの原点でもある。田中正樹君の文章で校正刷りが上がったときはドキドキしたものだ。

あれから長い時間が過ぎた。でも、こんな風にみんなで酒を酌み交わせられるのもこの本のお陰だ。…

あの頃は若かった。何か未来が遠く感じられた。我が青春のアルカディアだね。いまじゃ我が清酒のアルコール漬けだ。

いけませんね。自戒とともに次回も楽しくやりましょう。

東京シルエット

この本は、朝日新聞の東京版に2007年から2年9ヶ月に渡り連載した「東京シルエット」をもとに編んだものである。東京の谷中に

住んで20年、江戸、明治、大正、昭和、平成と変遷してきた首都の面影を刻みたいと方々を歩き回った。人気スポットは、なるべ

く避け、東京にこんな所があったのか、こんなユニークな人がいたのか、あるいはこんな視点があったのか。江戸っ子も東京人も

その意外性に、軽く驚きの声をあげるような、風景なり人なりを選ぶようにした。奇をてらったつもりはないが、多様な顔をもつ

東京の、だれも知らない一面を描きたいと思った……。

東京と神戸を毎週のように往復するこのごろだが、東京にも神戸にも、時とともに薄れ行く風景と人にはひとしお思い入れがある。

それは時間を生きるという当たり前のことだが、人、建物、風景、風習、文化といったものに深い年輪とドラマを見てしまうのだ。

市井の名も無き人々のもつ限りない優しさと生の躍動、ひっそりと過ぎ去る時間、逝きし時を眺め、カッターナイフの切っ先にそ

れを少しでも捕えることが出来たかと思っている。

●「東京シルエット」切り絵・文/成田一徹:創森社 定価(本体1600円+税)

新・神戸の残り香「舶来酒房スモーキー」「六甲山上のバー」

人間交差点。

人との待ち合わせで、渋谷駅前交差点を喫茶店の窓から見下ろしていた。おびただしい人々の群がまるで波のように寄せては返す…。

ああ、ぼくもあの中の一人なんだな…。みんな喜びや悲しみ、欲望、希望、目的があるのか無いのかこの交差点を渡って行く。

苦い珈琲を舌先で転がしながら、いつしかニューヨークの雑踏を思い出していた。髪の色、眼の色、肌の色、服装、若いの、老人、

太ったの痩せたの…人種の混交した多種多様な人々を見ているといつまでも飽きなかった。下町の映画館では喧嘩を始めるし、バー

では喧噪が渦巻いていた….。

…人混みが嫌いな癖に人が恋しい、この矛盾した気持ちが夕暮れともなるとバーに足を向けさせるのだ。小さい悔恨とともにバーで

出会った人の顔を思い浮かべる。あの引退したマスター、満面の笑顔で「お帰りなさい」と挨拶してくれるバーテンダー、隣の席の

つかの間の知り合い、北の酒場のスコッチの香りとあの顔、あの友人この人。こんな切り絵を生業としていると、人の顔に年輪を見

てしまうのである。人生は顔でもある。そう、人間なのである。生きているのである。ぼくも群衆の一人なのである。

待ち合わせの知人が現れた。さて、一杯目はどこのバーにする?

新・神戸の残り香「インド亭」「海文堂書店」

この歩みは何だ?

照れくさいというか恥ずかしいのだが、若気の至りというか青二才の頃、哲学を目指していた。ある教授の思想に触れてそれを慕って

いたのだ。社会に出た時には純な気持ちも失せ、サラーリーマンとして10年過ごした。毎日が苦痛の連続で、ああ、こんなはずじゃな

かったと。そして切り絵に出会い、この道しかない!と不退転の志で上京した。切り絵を生業としてあれから四分の一世紀になる….。

取材と称して夜毎バーを巡るはしご酒の連続なのだが、酔う程に普段忘れていたものが、樟脳の香りのように胃の腑のまわりに漂う。

重いのである。しんどいのである。しかし、カッターナイフ一本の人生、自分で選んだ運命である以上、頂上を目指すしかない。

まるでカミユのシジフォスの神話だな。と若い頃を思い出し苦笑する。うろ憶えだがその一節が蘇る。

…人にはそれぞれ運命があるにしても人間を越えた運命はない。…..人間は日々の主人は自分であると知っている。この行為の連続を

凝視し、彼の運命は彼によって創り出されるのだ。……頂上にむかう闘争、そのものが人間の心を満たすのだ。幸福なシジフォスを

思い描かねばならない。と、酔眼と朦朧とした頭でタクシーの客となり、また明日から岩を押し上げねばならない。

失われし都市を求めて。

深い密林に被われ永久の眠りについた都市。マヤ、アステカ、アンコールワットなどの廃墟には尽きせぬ想いを感じる。

いまはケツァルコアトルが舞い、奇怪な彫刻を施した列柱には蛇が、崩れ落ちた神殿には獣たちが戯れ、きらびやかな楽の音と

さんざさざめきが漏れた窓は髑髏の暗い眼窩だ。かってエルドラドを夢見た男たちの興亡と夢、いまもアギーレの亡霊が彷徨っ

ているかも知れない。……と、酔眼で東京の夜を歩いていると高層ビルやスカイツリーが廃墟となり、木と蔦と苔に浸食された

人類の消えた世界を想像してしまうのだ。ブライアン・オールディスの「地球の長い午後」のようだ。

ぼくの実家のある神戸。ずーっと遠い昔になってしまったが、元町の裏戸通り、路地には怪しげな外人バーが立ち並び、ひと時

のエルドラドを求める男たちが徘徊していた。あの生臭く立ち上るエネルギーと濃密な闇。それを阪神大震災が最後の一撃を加

えきれいにかたずけ、いまは闇も嬌声もむき出しの欲望の息も絶えた….。貧しくはあっても未来というエルドラド、乱暴で粗雑

であってもエネルギーがあった。…..時は忍び寄り忍び去る。ぼくもそんな歳になってしまったが、でも心の奥底にいまだにエル

ドラド・失われた都市を探している。詠嘆と笑えば笑うがいい、青春の挽歌、大人になれない大人の悲哀である。